2007年05月19日

vol.28 ブルース

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☆『メロディの3度(音階上の3度)が、フラットしたり、
  ナチュラルしたり、マイナーになったり、メジャーに
  なったり、というその動き、揺れそのものがブルース
  なのではないか』

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 「/04」オフィシャル・スコアブック(リットー・ミュージック/2005年)より。

   詳細→ http://tinyurl.com/95wj3
 


●以前から感じていたのだが、80年代までと90年代以降では、教授の作風に微妙な違いがあるような気がする。


ちょうどそのころニューヨークに移住したことが関係しているのかどうかはよくわからないが、そのころから教授の持つアジア的なテイストの質感や密度が微妙に変化してきたように個人的には感じている。


そのせいか、色で例えるなら茶色や黒系の色彩を感じる響きの割合が増えて来た印象が自分としてはあるのだ。


より混血度が増した、ということになるのだろうか。 


アジアとヨーロッパのせめぎ合い、というのは教授の音楽の特徴であるけれども、その両者だけでは説明のつかない別のニュアンスが教授の音楽にはあると思う。


それは一体何なのだろうとずっと思ってきたのだが、最近は「ブルース」という言葉で解釈するのがいちばんしっくりくる。


山下邦彦が教授の音楽について、ブルースという言葉を使っているのをはじめて見た時はかなり違和感を感じたのだが、このごろは山下の指摘は的を得ているのではないか、と思うようになってきている。


僕は、近年のロックバンドの中ではホワイト・ストライプスというバンドがわりと好きなのだが、ブルースは現代の音楽である、という精神性を理想的な形で体現しているバンドだと思う。


音楽的に似ているところは無いし、アーティストとしてのタイプもまるで違うけれども、教授とホワイト・ストライプスには僕の中では何か通じるものがある。


それは、ひとことでいうなら、「奇妙さ」のようなものだろうか。


教授のアジア的な部分とヨーロッパ的な部分を繋ぐ橋のような役割を、ブルースというメジャーともマイナーともつかない、この奇妙な音楽的要素が担っているのかもしれない。
 

アジア人でありながら、ヨーロッパの音楽に惹かれてしまう人間にとって、この両者の間にどうやってアイデンティティーを確立するか、というのは重要な命題だと思うけれど、教授の奏でる「エイジアン・ブルース」はその大きなヒントになると感じている。


             <文中敬称略> special thanks:Q san



 「/04」オフィシャル・スコアブック

 詳細→ http://tinyurl.com/95wj3


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●あとがき


♪こんにちは、吉村でございますー。


久しぶりの発行です。


アジアとヨーロッパ、というテーマで書こうと思ったのですが、まとまりませんでしたね〜


今回は多忙で書けなかったのではなくて、テーマは決まっていたのですが、考えても考えても一文字も書けませんでした。


このままでは、永遠に発行できないと思い、辻褄が合わないところを残したまま強引に書いてみました。


「何か」はあるような気がするんですけどね・・・。


まだ、自分のなかでこのテーマに結論が出たわけではなく、今後も考えていくことになりそうです。


それではまた〜


●ストップ六ヶ所(日本語) 
   http://stop-rokkasho.org/information/ja/

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   https://www.sitesakamoto.com/newsletter/

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   http://www.sitesakamoto.com/


posted by ヨシムラ タケヒロ at 22:54 | Comment(0) | 坂本龍一を考える。-メルマガ・バックナンバー
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